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2004年
umashi家の大移動始まる。お引っ越し奮闘記
 
2月23日  それは突然訪れた。
 朝一番で何か雰囲気が違う事を肌が感じていた。
 10年振りにその不安が的中する瞬間まで約30分程度。
 いつもの様にラジオ体操と朝礼が終わり、全体集合の号令で会議室に集合した。
 先週末に本社での発表、来期からの組織体制が告知されたらしい。
 その前触れは多少あったものの、実現的
 では無いような気もあり、驚きは無かったがさらりと告げられたものの
 じわじわと感じ入る物があった。
 それはこの10年間の東京生活・仕事の思い出であった。
 そう、人事異動の内示である。仲間からのどよめきもなく聞き取る内容は
 その他の方々の異動先と「適材適所に配置する」との組織全体の内訳であった。
 やはりこの1年間の結果が出せなかった事による配置転換かと自暴自棄が襲ってくる。
 今更、後悔しても自業自得ではある。
 それが社会の節理であり、何と中身が薄い人間かと反省する。・・・
2月23日  綱島駅を降りてコージーコーナーの前を通り、はたと足が止まった。
 手ぶらでは帰れないな!
 機嫌取りか、自然と自動ドアの踏み台に足をかけていた。
 妻には思い出のケーキ(種類は秘密だよ)と娘に買って帰る。
 何食わぬ顔でいつもの様に帰宅し、夕食を取り娘がケーキを小皿に配りだした。
 さて、一呼吸して「辞令内示」を伝える。
 それからがてんてこ舞いの状態になったのは経験された方なら分かって
 もらえそうな平凡な光景であったと思う。
 気の小さい人間なのでこの夜は寝付けなかった。
 心配事ではなく反面、新天地への期待感と段取りを考えて
 しまって頭が冴えてしまったと言った方が正解である。
2月24日  さて、今日からいろんな準備で大変だ!期末でもあり仕事も追い込みがピークを迎える。
 数字的は確定しているがまとめと言う意味ではいろんな行事が待っている。
 引越も家探しも10年振り、前回は本社圏で総務的な内容もいろいろと
 面倒を見ていただけた方々がいた。
 今回はそれなりに経験もある立場ではあるが、そこは最近経験した方々に
 聞きまくるしかないと仕事半分、これも仕事の内ではあるが移動の準備に入る。
 一日の情報量としては多すぎる内容を記憶の片隅に押し込み
 帰宅したのも記憶が無く、頭の片隅から妻へと吐き出した。
 そこは合理化した妻の事、今のバイト先に早速に別れを告げ、引越のスケジュール作りを
 PC(バニーと母艦とインターネット)でまとめに入っていた。
 きっと翌日にはびっしりと計画が書き込まれるリストが出力されるであろう
 と思った。ある種、これを楽しまない手はないなと思う。
 これがサラリーマンの宿命というより醍醐味である!
2月25日  給料日であるがほぼ全額引き出す。自分には適度な量の収入か?
 といつも考えるがそれどころではない。
 落ち着いてからいただける転勤手当を手にするまでは手持ち金で
 なんとかするしかいないのである。
 早々に小銭だらけの貯金箱の中身を口座に入金するように
 妻に指示するとこんなくそ重たい物、自分でやれ!
 と1秒も経たない内に大声で帰ってきた。予想通りの反応で笑えた。
 それでもぶつぶつ言いながらやってくれるであろと考えている所など
 長い付き合いになったものだと噛みしめる。
 上司に教えてもらった不動産仲介業者へ早々に電話して物件をFAXしてもらった。
 東京近辺とは異なり今の住まいよりは好条件の物件が揃ってはいたが
 前回の反省点も踏まえ現物を見るまでは安心できないぞと自分に言い聞かせる。
 こちらも自分のスケジュール表を作成し部長に提出し、仕事の記憶が真っ白になっている
 事に気が付いてもう一度、一つ一つ思い出しながら客先対応の優先順位を確認し
 出すところはそれなりに大人になったな〜と感じた。
異動先  東京→大阪(詳しくは正式辞令を見てから公表です。)
2月26日  引越業者へ相見積依頼。
 昨晩、googleで検索した無料見積サイトへ入力し約50社中
 信用できそうな所からの回答を待った。
 速攻で数分後にメール返信があったが、電話での連絡は一切不要の
 チェックボックスを付けたのに早々に電話してきた業者は頭に来て、連絡もせず。
 とっとと見積を出してくれ〜と心の中で叫ぶ。
 この時期は全国的にお引っ越しブームとなる。
 当然、物流業界も人手不足で足下を見た便乗値上げが平均で
 10%upすると言うのが常識らしい。
 また、関東と関西では仲介業の内容も敷金や礼金の表現も異なり手数料の
 あり方も異なるやらで学ぶ事が多かった。私も営業職なので交渉は得意と
 すると言い聞かせるが、変なところで情け心が働きそうで、この性格を嘆いている。
引越
予定日
 3月27日or28日と目標を定める!
 仕事柄、最終目標があると自然と体が動いてしまう癖はいつごろ付いたのだろうか?
 なければ不安になるのが社会人である。なんのこっちゃと思う!
2月27日
(土曜日)
 ご配慮により大阪営業所へ行く仕事の指示をいただいた。
 一泊して土曜日も大阪で仕事ができる。
 ついでに新規拡販で訪問できるお客様も都合が合ったので近鉄奈良線に乗り
 瓢箪山(初めて下車する駅)で指示通りで降り、土地勘はないが生駒山の手前
 であるのでかろうじて東西南北は分かった。
 駅から近くなのかも分からず、タクシーで行く事にしたが運転手も土地勘がない
 との事で地元のドライバーに位置を聞き、出発進行!不安だ〜。
 早々に打合せを終えようと思ったが結局、日が暮れる頃になってしまい妻との合流
 には5分遅れでJR京都線の指定駅で無事、久しぶりの夫婦水入らずの緊張する
 瞬間が訪れた。娘は実家に置き去りである。・・・
 まあ、心配性の私は午前中に仲介業者の事務所に足を運んで段取りを確認して
 いたのは誰もが驚かない行動であろう。???
 今晩のビジネスホテルでの2人きりの時間は本当に久しぶりの会話が弾むのか?
 と余計な心配が移動中のタクシーの中で過ぎっていた。・・・
2月28日
(日曜日)
 眠いのに目が覚めた(通常の土曜日とは異なり)驚いた!
 ホテルで朝食、それも7:00少し過ぎから(通常の土曜日では有り得ない)。
 白い息が見える程の寒さの中駅まで2km弱ある一本道を妻と5m程の間隔
 をあけて(基本的に歩幅が違う。)市役所まで15分程歩いてみた。
 当然、土曜日は窓口は休みである。
 そこから阪急電鉄の踏切を越えてJR駅前にある不動産業者の事務所に
 予定より15分前に行った。
 「おはようございます。」「ご苦労様です。」←おっと標準語じゃん!
 と関西弁を期待していたので拍子抜けしたが社員からの元気の良い挨拶に感心した。
 高級そうな緑茶と暖かいおしぼりがサービスの内容を物語っているようだ。
 こっちはそれどころではなく早く物件見せろと意気込む気配が夫婦2人から
 漂っていたのは業者には手に取るように分かっただろう。
 しかし、担当者はまだ経験が浅そうな外見と受け答えで少し不安になったが
 ここ数日の対応からは努力のかけらが見えてきていた。
 事務所前に例の自動車が横付けされ、いつも羨ましく見ていた立場になったのだと
 嬉しくなった。
 とにかく、言いたい放題、要求をぶつけるぞ〜っと鼻息が荒くなるのを押さえ
 いつもの営業トークで煽てる。
 なんら駆け引きもなく、雑談でペースを探る様子はマニュアル通りか?
 と裏を見過ぎるのはいやな大人である。
娘の学校に一番近く、会社の規定内の
家賃で一番広い部屋を選択した。
2月29日  閏年である事に気が付いた!
3月1日  いろいろと手続きをしたいが明日からのJAPANSHOP2004出展の
 ブース搬入で早々に事務所を出る。
 なんじゃ〜この寒さは!で巨大な展示ホール内は当然の如く
 暖房もなく設営業者の合流も遅れ、作業は遅れ気味で冷え込むやら腰が痛く
 なるやらで日曜日に全身マッサージした心地よさが一気に疲れへと代わって
 行くのが体感できた。もう42歳間際である事に気持ちだけは20台と意気込むのももう
 止めようとオヤジ化して文句あるかいと誰に向かってささやいているやら
 情けない自分がぽつんと立っていた。
 相変わらず、経験不足の若手仲介業者や引越業者からは携帯に連絡が入るが
 連絡が無いより何でも聞いて来る事は大事であると感じた。
 そうそう、午前中には本社の総務部と下見で借り決めした物件の内諾を得た。
 後は法人契約であり稟議決済を待つのみとなり、引越業者の最終選考に入り
 たいが見積作業は4日が最終となりそうである。
3月1日  妻の英断
 最初の引越見積は多く見積もっても48万円とな。
 我が家にはこの10年間で溜まった物財がある。
 いろいろと夫婦間で話し合い、大物家具をどうするかの話題に行き着いた。
 中型家具は結果として粗大ゴミ「靴箱、鏡台、ダイニングテーブルセット
 石油ストーブ」、小型物財は火曜日の普通ゴミとして出される事となった。
 粗大ゴミは妻の嫁入り道具であり申し訳ない気がする。
 本人は15年も使って元は取っていると言っているが新しい物を
 買って欲しいと言われる日が怖い。
 当然、コンデンサーを取り替えた洗濯機は家電法の適合範囲で廃棄処分となる。
 大物の洋ダンスも2本、処分する事となった。
 和箪笥は利用価値があり唯一残る事となった。
 15年物と言ってもまだまだ現役で十分使えるものである。
 但し名古屋仕様で背丈が高いタンスは名古屋以外では少々
 持ち運びには辛いサイズとなっているのは確かである。
3月2日  少しずつ興奮も落ち着いてきているが妻は着実に第一歩を踏み出し
 着実に前へ前へと全身行動している。
 頼もしいものである。ほぼ、段取りと調べ物は完璧か!?
 人間、環境の変化は大事である。
 10年は長すぎたと冷静に考えれるようになってきた。
 少し不安要素は自動車関連であるが、駐車場の確保は大丈夫のようだ。
 今の2万円/月の出費より半分以下になるのは助かる。
 自転車の保管料が数百円徴収されるのは管理体制がしっかりしていると
 考えれば損した気にはならないかと言い聞かせる。
 何が心配かって、それは車庫証明やら陸運局での手続きやら免許証の
 顔写真は大丈夫か(今更、この顔は整形でもしなければ直らないが・・・)とか・・・
 警察署へ行くのは気が引ける(これも性格か?)とか、ふっ〜。
3月3日  ひな祭りもろくな祝いができず、片付けと廃棄処分の振り分けを淡々と済ませている。
 今年は写真も撮らずじまい。
 駅まで娘が迎えに来てくれたので、雛ケーキを買おうかと思ったが売り切れていた。
 従ってケンタッキーで代替えた。
 会社では最後の引越見積業社2社と連絡を取り、4日〜5日に掛けて選定を行う。
 総務より現在住んでいるところの最終退去日の調整と賃貸業者との立ち会い日を決めた。
3月4日  大手の引越業者が下見に来たそうです。
 回答は会社に出すと言って帰ってしまった。
3月5日  最後の引越業者の見積が終わりました。毎日、家に帰るたびに小物が整理され
 ダンボールに片づけられています。
 また日々何をやらなければならないかの指示が妻から言い渡されます。
 とても頼もしい限りです。
3月8日
(日曜日)
 NTT西日本のホームページから移転の手続きを行ったがまだ新規電話番号の
 連絡が来ない。
 yahooの変更手続きができないよ〜。
 確認のお願いのメールを入れ直した。
 引越業者を最終選考で選定して引越日を25日搬出、26日搬入で決定した。
 9日にはダンボール箱を入手する。
3月9日  帰宅するとダンボール箱があった。(約束通りだ、エコノミー楽々パックに期待する。)
 会社の稟議決済がまだであるがどんどん引越準備を進めている。いいのかな〜〜?
 でももう止められない。
 大阪ガスにも電気関係も頼んでしまったのである←妻が・・・
3月10日  電話番号が決定したので早速、yahooBBのお引っ越しサービスに申し込んだ。
 NTT局内工事(ADSL対応)費用はyahooが負担してくれるので嬉しい!
 \3,050もお得だよん。
 でも12MBの体感速度はどうなるのかな?心配だ。
3月12日  久々に帰宅したら、小物類からダンボール箱に片付けられていた。
 粗大ゴミも25日で出し終える。
 PHSやガスや電気やその他、もろもろ引越の手続きが終わっていた。頼もしい妻である。
3月22日  仲介業者から携帯に連絡が入り、部屋は貸せるが駐車場は貸せないとな。
 おいおい、いくら分譲賃貸だからと言って管理組合の判断はおかしいぞ。
 大阪の地で儲け話をふいにするとは信じられない。
 どうせ空いているのなら貸せよ〜。
 組合の規定があるのなら分譲賃貸なんかするな〜。
 で一通り、仲介業者に文句を言い、もう一回交渉してこいと電話を切った。
 妻は娘の学校の関係で大阪へ行き部屋を見てきたが、畳を新品に換えてくれるそうだ。
 でも管理規約のファイルが分厚くて、置いてきたらしい・・・
3月24日  ヤマト楽々エコノミーパックは!ギャル6人が押し寄せてきて
 むんむんの中で箱詰めをやって行ったぞ。
3月25日  かみさん一人で運送会社を指示し、無事に荷出しができたようだ。
 状況はPHSのメールで随時報告が入ってくる。
 荷出し後、新横浜から新幹線に飛び乗って岐阜の実家へと到着。
 少々、お疲れ気味の様子であった。今度、甘い物でも食べに連れ行ってやるか!
3月26日  かみさん一人で大阪へと移動。先に仲介業者の事務所へカギを取りに行った。
 今日も実況中継のようにPHSのメールのやり取り。
 午後2時過ぎには荷物も到着し若い男の子達と荷入れを楽しんだそうである。
 やっぱ居なかった方が良かったかも。
 当然の如く、新居内はダンボール箱でごった返ししている様子。
 これ以上、注文を出すと殺されるかも知れないので明日また
 落ち着いてから連絡を取る事とした。
 最後の晩は寝袋とノートPCと携帯電話で冷えた部屋で朝を待った。
3月27日
(土曜日)
 朝9時から賃貸業者に引き渡しの立ち会い。
 10年も住んだのだから細かいところは勘弁願う。
 当然の如く、消耗品である襖や壁紙、フローリングの傷が気になるが
 後は請求内容を見てから交渉だ。
 それより岐阜まで娘を迎えに行かなければ
 550kmのドライブは一人で退屈だが気ままに行くか!
 18:30には新居に到着していたが片付け作業を終えたのは夜中であった。
3月28日
(日曜日)
 部屋の片付けでてんやわんやであった。
 力仕事の集中と引越業者の紛失でどたばたであった。
 なんで電話とyahooのADSLモデム(レンタル)、ブロードバンドルーターを無くすかな〜。
 一番真っ先に必要となる
 ものなのに頭に来るな〜。
3月29日
転勤公休
 妻は朝から市役所へ行き、転入届と娘の関係での手続きを済ませて来た。
 自分は我が家の資金不足を補うために当社規定の転勤費用や宿泊費
 交通費を精算するため大阪事務所へ出頭して現金をいただいた。
 初めて摂津富田から千里丘へ自家用車で移動したが渋滞発生箇所が多かった。
 大阪の引越業者の責任者と交渉し(たぶん横浜の業者の過失であると思う。)
 保険で補う事にしてもらった。
 帰宅後、郵便局、三井住友ATM、ダイソーコーナン、などなど生活必需品を買いあさった。
 久しぶりにロッテリア(20数年前にバイトをした事があったので懐かしかった。)で
 夕食を済ませた。
 今日は管理人さんへの挨拶、駐車場の4月分の
 支払(契約無しでオーナー自宅へ直接支払に行く。)を済ませた。
 通常は\15,000だそうだが\13,000に値切った。
 摂津富田の支局で印鑑証明カードも作った。徒歩で10分程歩いたが
 近隣の桜が綺麗であった。
3月30日  ヤマダ電器へ紛失物となった電話機とルーターと電熱器を買って、運送業者へ請求した。
 高槻警察署へ行き、免許証の住所変更と車庫証明取得の手続きを行った。
3月31日  yahooとの約束通り、午前中に新規12Mモデムが届いた。(感心感心)
 警察署から電話で車庫証明の不備について連絡あり
 駐車場持ち主と交渉してもらい事なきを得た。
 未だに横浜ナンバーを換えるかどうか迷ってはいるが。・・・
 家庭内無線LANの設定も終了しセキュリティーコードも組み込んだ。
 どうやらyahooBBユーザーへのフリースポットを
 設定している人がいるのか?このマンション全てがそうなのか?
 アクセスポイントが存在している。
 後は、引越業者から紛失費用を貰うだけである。
 さて、今日の段階で残りの小物を買い揃えれば引越も一段落である。
4月1日  日経新聞も無事に配達された。
 各種カード会社への住所変更手続きを開始した。
4月8日  やっと高槻警察署から車庫証明が出ました。
 駐車場の証明書を発行してもらうのに2ヶ月分(\26,000)も取られました。
 後はナンバープレートを横浜から大阪に変更するかどうか
 陸運局へ行ける時間が作れるかな〜。

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